運命の車輪
ウェイト版タロット『運命の車輪』
運命の車輪を司り、気まぐれに人々の運命を決める女神フォルトゥーナ
『人生は偶然の積み重ねで作られる。』
生きていると、思いもよらないところから
意外な出来事が転がり込んでくるものです。
運命は淡々と回っていて、
何だ?何故?と思うような事や予期せぬ出来事に遭遇しても、
そこに何も意味は無く、ただイタズラに回される車輪の回転によって
どんな人にも均等にルーレット形式で、もしくはサイコロを回すかのように
「たまたま」引き起こされる。
自分の意思とは関係なく、もっと大きな力によってもたらされ、委ねられるのだ。
このカードが出た時というのは、そんな偶然のご縁に対して、一瞬あなたの捉え方にスポットライトが当たっているような感じ。
その時、私たちはそれぞれの性格と
それによるパターン化した思い癖を持っていて、
それに基づいていつも行動しています。
同じことを繰り返していることもあるでしょう。
目の前に突然の変化が訪れた時のいつもの反応。
例えば悩み事や何かがあった時、私はいつもどうしているだろう?
・どうしてこうなってしまったんだろう?どうしてあの人と出会ったのだろう?と意味を見つけようとする。
・不安になり、つい起こりもしない事を深刻に考え過ぎてしまう
・相手に求めてばかりいる
・受け身である
・自分では決めない
・自分は後回しにして我慢してしまう
・言いたいことが言えない
・それは自分の今までの行いのせい,またはカルマのせいだと思ってしまう
・自分にはもったいない、自分にはやっぱり出来ない、と思ってしまう
・あの人には、この話には、裏があるんじゃないかといつも疑ってしまう
といった感じでしょうか。
これは私の話しなので、人それぞれ色々あると思います。
この、感情に引っ張られてついやっている自分の思い癖やパターンに気づければ、
無自覚でいたことから脱し、変えていけるかもしれない、という余白が出来る。
私もこの大分ネガティブな反応を自覚し、
少しずつ変化してきたと思います。
戻ってまた繰り返してしまうこともありますが。
それからこの「偶然、たまたま」という見方は、
何でもコントロールしようとしがちな人には肩の力を抜かせ、
謙虚さに向かわせると思います。
あまりにも酷い出来事に遭った時などは、
そんなに冷静に捉えられないとは思いますが、
だからこそ、自分ではなく目の前で誰かにそのような不幸なことが起きても、
その出来事はその人だから引き寄せたのだ、というのではなく、
ただの偶然の采配であり、たまたまその人が当たっただけで、
もしかしたら自分もそうなっていたかもしれない。
と他人事ではないと思えるようになる。
そう思うと、私には関係な無いわ、ではなく、
人に同情したり、手を貸そうとしたり優しくなりませんか?
という生命の木からみた運命の車輪の裏の意味を教わりました。
先生曰く、これは人には普通にある感覚だと言っていましたし、私も一応あります。
ただ、改めてそう考えてみる、無意識から脱する、ということに意義があり、
それは自分の新たな可能性に手を伸ばすようなことなのだと思います。
占いで見た場合にも、これが出た時その人は、当たり前に困った人にはアドバイスしたり、手を貸したりするような人だったりするし、またはそういった面がテーマだったりするかもしれません。
そんなわけで、この運命の輪の「たまたま」という発想は、
謙虚さや優しさに加え、
この世の出来事に対してかなり柔軟性を養う機会になると思うのです。
この柔軟性が、目の前の出来事をチャンスにしていくわけですね。
運命の相手や天職というのは、最初からあるものじゃない。
たまたま出会った「人」
たまたま出会った「チャンス」
たまたま出会った「仕事」
そういった偶然の積み重ねを、
これからあなたがどう扱うかによって変化していき、
自らそこに意味や価値を見出し、
あなたの「世界」は作られていく。
結局は行動に移すしか無いのですが、
だとしたら、もっと柔軟に対応する、つまり何事も肯定的に捉え、
もっと自由に理想的な世界を目指して創造していこうと、改めて思えるのです。